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2011年3月の4件の記事

2011年3月26日 (土)

梅。

梅。

仙台は少しずつ落ち着いて来ました。
コンビニも、開いてきています。
モノがほとんど入ってなくて、
おにぎりや飲み物しか売ってないですが……

慌ただしく過ぎて行った2週間でした。
身の回りのこと、知り合いから、原発に至るまで、
さまざまな心配事が襲い掛かってくる毎日。

オレは避難所で一晩過ごしただけだったけれど、
とても寒くて根をあげてしまいました。
帰る家が流され、今も避難所で過ごさざるを得ない人が、
まだたくさんいる現実。
なんとか自分が力になれることはないのか、
考える毎日です。

今はまだ、『がんばれ』の時期ではないような気がします。

2011年3月20日 (日)

市街地。

市街地。
市街地に久しぶりに行きました。
写真は仙台駅前。
ペデストリアンデッキは、危険なために一部入ることができません。仙台駅は閉鎖中。そもそも電車が一切動いていないので、用がある人もいない。
新幹線ホーム復旧のために、外側からクレーンを入れているようです。

街は、物を買い求める人でいっぱい。いつもの休日の『楽しいショッピング』的雰囲気はなく、食料品やカセットガスを買い求める人が多かったようです。
みんな、袋にはネギとかお菓子とかを入れて歩いていました。
店は少しずつ営業を始めているようだけど、まだ本格的な営業を始めるまでは時間がかかりそう。

ガソリンスタンドは相変わらず長蛇の列。灯油を買い求める人も、列を使っていました。

この際、少し不便で、物がない生活を楽しんでみる工夫をしてもいいのではないか……等と思います。
すべてが便利になりすぎて、物に溢れた生活に慣れすぎて、それがちょっとでも崩れるとパニック状態になる。
この非常事態に、これまでと同じ生活水準を維持しようとするから、買いだめに走ってしまうのであって、ほんのちょっと水準を落としてみたらきっと気持ちが楽になるはず。
永遠に続くわけじゃないのだから、いつもと違うちょっと不便な生活。ほんの少し我慢をする生活。そういうの楽しんでみる心の余裕が必要かも…などと、街歩きをしていて思いました。

とは言ってもやっぱり、いつもの明るく楽しい休日の繁華街が、早く戻ってきて欲しいものです。

2011年3月19日 (土)

やっと電気。

一昨日、やっと電気が通りました。
それと前後して、ケータイも使えるようになりました。

こんなに長い間、蝋燭の生活をしたのも初めてだったし、
ラジオを聞いていたのも初めてでした。

電気がないと、情報が入って来ません。
ラジオでいくら津波の被害を言っていても、
なかなか伝わってこない。

もどかしさが募る毎日で、
自家発電でテレビを受信している町役場に何度も足を運びました。

地震直後の夜、
避難所はたくさんの人が溢れていました。
一週間以上経過した今、避難所に避難している人の多くは、
暖かい家を失ってしまった人たちです。

津波が襲った漁村は、
高齢化が進んでいて、避難している人も高齢者が多いようです。
津波がすべてを飲み込んでしまった。
年寄りや子供が寒い思いをしているのかと思うと、
なんとかしてあげたいと言う気持ちがこみあげてくるのに、
今、自分にできることが見つからない。

テレビは、避難所からのメッセージを流し続けています。
連絡がとれない人を探しています。
居たたまれない。

2011年3月11日 (金)

無事です

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