« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月の25件の記事

塩竈。

塩竈。

塩竈の沿岸を走り抜ける国道沿い。

打ち上げられた船がまだ残ってます。
海の向かい側にあるマックスバリュも、まだ営業できていません。

Googleマップを見ると、
津波の被害の出かたの特徴が分かります。
まったく被害のない家の隣に全壊の家があったり。

車を走らせると、顕著で、
同じ海沿いで隣り合った集落でも、
一方は被害があり、
一方は被害がない。
地形や津波の押し寄せた方向、
さらに流されたものが関係していそうです。

映像で見るのと、実際に見るのは違う。
見た人がみんなそう言ってますが、まさにその通り。

例年なら、出店がたくさん出て盛り上がるしおがまさまの花まつり。
今年はひっそりとやったそうです。

朝。

朝。

昨日の夜の賑わいが嘘のよう。

朝日が眩しい朝、
桜が輝きだしました。

イチョウ

イチョウ

イチョウも、ベビーリーフが出てきてます。

若葉。

若葉。

シンプルだったラインが複雑に。

しだれ桜

しだれ桜

仙台のソメイヨシノは終盤。
ちらちらと舞って、それはそれで風流。

今は、しだれ桜がいい感じ。
満開です。

仙台の桜

仙台の桜

昨日、荒れたので葉が目立つようになってきました。

今日は天気がよく、絶好のお花見日和。
公園では、賑やかな声が響いていました。

ペットボトルに水

最近、ペットボトルに水を入れて、冷蔵庫に入れています。

ペットボトルに、水を入れていると震災当日からの数日間、水を入手するのに翻弄したのを思い出します。
350ミリリットルの水を、もったいないと思いながら大切に飲んで。
例えばどこかに行こうと思っても、水がないと思うと動くのが怖くなる。水道は出ないし、当然自販機も動いていないし、コンビニも営業していない。

井戸、湧き水を探すしかない!!

みたいな。なんというサバイバルとか思いながら過ごす日々。
いやもう、普段ならあって当然で、絶対に気づかないこと気づかせてくれました。

実は、「あって当然」じゃなかった……

震災後、最初に行ったのは西友でした。コンビニよりはやく24時間営業を再開。
で、入って驚いたのは、やはり商品棚がスカスカだったこと。スーパーやコンビニにいって商品棚に商品があまり並んでおらず、空いている棚のほうが多い状況って、経済危機に陥った国の様子を映したテレビニュースくらいでしか見たことありませんで………
やはりこれも、

スーパーやコンビニには、商品棚いっぱいに物があって当然!

という、自分の中の概念が壊れた瞬間でした。頭では分かっていても、実際にそういう光景を見るとやはりショックです。
こういう非常時、みんな一緒に被災している場合、強いのは小さな八百屋とか田舎のストアみたいなところなんですよね。
おじさんが一人で仕入れから、物流から、物販までやっているから、小回り良く動けるんだろうなぁーと。ホント、今回の震災では、この小さなお店に助けられました。

あって当然。
でも、実は………

電気もそうですが、いつもなかなか考えないこと、身をもって考えさせてくれるいい機会になりました。

さて、あの震災から一ヶ月以上経過。
すでに、あって当然の生活に戻ってしまった自分。ペットボトルの水を、そんな自分を戒めてくれています。

公園散歩。

公園散歩。

天気のいい昼下がり、
公園散歩。

BGMは、賑やかな花見の声。

早い。

早い。

あっと言う間に、満開に。

ここのところ暖かい日が続いたので、一斉に開いたようです。

サクラの下では、いつもの年よりは少ないものの、いくつかのグループが楽しんでいました。

みんなが待ちわびた春を満喫していました。

咲いた咲いた

咲いた咲いた
白木蓮の花が、いち早く満開になりました。

近くでは、桜の花見を楽しむ人もちらほら。

麗らかな陽気が続いています。

さくら

さくら
仙台のソメイヨシノ。
今日は20度もあり、一気に花が開いてます。

石巻では、津波に襲われた小学校の桜が咲き始めたそうです。

地震、雷、火事、オヤジ

って言うけれど、実は『地震』の単語の裏側に
『津波』と言う単語が隠されていたんですね。
思い知らされました。

桜の花が、瞬間的にでも
心の安らぎになればいいなぁ。

気仙沼

仙台の桜は、かなり開いてきて、
公園は濃淡の桃色に染まり始めています。

お花見そのものは、中止になっていますが、
出店がでたりして少しでも盛り上げようとしています。

どうも自分は田舎が好きで、
ドライブというと栗駒の山村や、
沿岸部の漁村に行ってしまいます。
宮城岩手の地震や、今回の震災現場は
自分がよく知っている場所で、
のどかで平和で、生活感に溢れていた小さな漁村の
悲惨な様子が何度も何度もテレビに出てくると、
どうしようもなく空しい気持ちになってしまいます。

気仙沼はどういう街だったかな、
思い出してみるのにブログっていいですね。
すぐに見つかりました。
(この記事に出てくるリンク先は、すべてこのブログ内です)

このあたりです(⇒リンク)。

この震災で、最初に津波の映像を見たのは、
避難所でのワンセグだったんですが、
場所は気仙沼の津波の様子で、
確か、この桟橋が流れて後ろの立体駐車場のほうに
流れていく映像でした(⇒リンク

フカヒレな気仙沼は、
とにかく港にいつも大きな漁船が何艘も停泊していて、
ロマン溢れる昭和の港町のような雰囲気が
好きでした(⇒リンク

気仙沼大島は、東北最大の離島です。
椿が美しくて、
その点、伊豆大島に似ていますね。
亀山という象徴的な山があり(⇒リンク)、
リフトで登ることができるようになってます(⇒リンク)。

このあたりは、港側からと浜側から、
津波が襲ってきたそうです。
もうたぶん流されているんじゃないかなぁ~(⇒リンク

気仙沼大島の亀山から見た気仙沼湾です。
入り江に大きな石油のタンクがありますよね(⇒リンク)。
あれが津波によって被害を受け、
流れ出た重油から沿岸の火事が広がったそうです。

十八鳴浜(くぐなりはま)という浜辺があります。
石英の細かい粒によって、
歩くとキュッキュッと音が鳴る浜。
名前は、9+9=18から来てるのかなぁ~。
日本で初めて見つかった、音の鳴る浜。
津波の泥などの不純物が混ざり、
音が鳴らなく鳴ったそうです(⇒リンク

兄弟猫は、無事逃げられたのかなぁ~(⇒リンク

小学生たちが港で釣りをして、
その後ろで猫が彼らのリュックを物色する。
そんなのどかな風景が、日常的に見られました(⇒リンク)。

たぶんもうないであろうことが容易に想像できる建物(⇒リンク)。

気仙沼がどんな街か、
もしよろしければこのあたりから...

2006年7月25日~(⇒リンク
2008年7月8日~(⇒リンク

咲きました

咲きました

仙台のソメイヨシノが咲きました。
気象台の植物季節観測標本木。5〜6輪の花が。

でも、開花の発表はなかったみたいです。
地震があったし、
さくらの観察どころではなかったかもしれません。

今週末は、お花見日和りになればいいなぁ〜。

東松島市、野蒜。

東松島市、野蒜。

美しい海岸線が2km以上に渡って広がる、外松島のこのあたり。
この運河は、日本最長の運河、貞山運河(東名)です。

仙台市内は、いつも通りの風景に近づいていますが、沿岸部はあの日のまま時間が止まってます。
これでも、道路が通れるようになっただけ、かなり整理されたと思います。

運河には、あるはずのない大きな屋根が浮かび、
のどかな田園は海になり、
日常の場所はがれきの山になりました。

何気なく見ていた風景で、そこにあるのが当然だと思っていたものが突然なくなると、そこに何があったのかさえ思い出せないというか、なんというか。
この辺りは、以前の津波によってできた湖が残り、みんなの津波に対する防災意識も一際大きかったはずなのに、残念ながら多くの犠牲者がでてしまいました。

あの津波から1ヶ月も経ったのに、未だに行方不明者の捜索をしていて、今日もたくさんの人が見つかったそうです。
この世の中で、こんなことがあるのかな……

今日も自衛隊の車両、ダンプカーなどの作業車と何度もすれ違いました。
テレビでは、そろそろ大震災の被害の全貌をまとめた番組を放送しはじめていますが、まだ現地はこんな感じなんですよ。はじまったばかりなんですよね。

オレはもう日常の生活に戻っていますが、
戻れない人たち、戻ることのできな人たちがいることもいる。
頑張る前に、生活しなければならない。でも一番はじめにするべきことが、最も難しい。

「現実を受け入れること。」

まだ、これから。

標本

標本

仙台のソメイヨシノの標本木。

気がつけば、色付き大きく膨らんでいました。

楽しみです。

白木蓮。

白木蓮。
大きなツボミ。
白木蓮。

この花は、青空に映えて、
花が開くとはばたいて、
まるで空に飛び出していきそうな雰囲気なんですよね。

去年とは違う春なのか、
去年と同じ春なのか、
とにかく季節は巡ってきました。

2回はやばい

明日も早く起きるぞと、気合を入れて早めに寝てたんですけど……

爆睡で、超いい感じだったのに、起こされて。
あ、これはやばいと思った瞬間に、緊急地震速報。オレの感覚では、ちょっと遅い感じ。

時の流れと揺れに身をまかせ、失神しそうなのを必死に「お気を確かに!」と自分に言い聞かせておりました。
それと、この揺れなんかに似てるなー、あ、インディ・ジョーンズか! とか、意味不明なこと頭に浮かんだりしてました。
窓からの風景を見たら停電して行く様子が見えて、また前回と同じ1ヶ月を繰り返すのかと、「ふりだしに戻る」的絶望感水浸し。

ハッと気がついたら揺れが止まってて、ものが散乱してました。幸い停電にはならず。
キッチンにおいてあった皿が割れまくってて、とりあえずテレビ。

散乱している状況を見ると、前回とちょっと違う質の揺れだったんじゃないかと……

直後にブログに無事を書いて、風呂の水をチェック。
また、前回と同様に、湯船から半分以上こぼれて、廊下まで。風呂の扉って、構造的に大きな揺れが来ると、開くようになってるのかな~。

友達からのメールに返信してたり、Twitter書き込んだりしてました。

救急車、ヘリコプターの音が響き、
外は騒然としていて、みんなどこかに逃げようとしていたけど、いったいどこに逃げるのか。
動きたくなるの分かるけど、こういうときはどこかに逃げるより、じっとして周囲の様子を見てから判断したほうが賢明だと思うんですけどね………沿岸部以外は。

散乱した部屋を見て、もう笑うしかない。
掃除はしても、整理をするのはしばらく控えようと心に誓い、眠ることにします。

明日は寝坊かなぁ~。

すごかった

すごい地震でした

白猫。

白猫。

白猫は、人に近づいて来ない。
遠くから、じっと見ているだけ。

公園の猫。

公園の猫。

なぜか震災後に公園で見かけるようになって猫です。

人を見ると近寄ってきます。
でも触ろうとすると逃げます。

まだ少年に近い感じ。
もう一匹、茂みの中に同じ年ごろの白猫がいるんですが、
こっちは警戒心が強く、遠くから興味深そうに眺めているだけ。

夕方になると、公園の芝生で無邪気に遊んでいます。
最近はすっかり公園の人気者。
みんなに笑顔が戻っています。

怖かったこと。

地震で揺れているときは、やはり怖かったです。
ニュージーランド地震の倒壊したビルを見ていたことがあり、
恐怖が増大したかもしれません。
津波は、怖くありませんでした。その現場で見てませんから。

避難しているとき
これからのことを考えて、少し怖くなりました。
どうすればいいんだろう。みんな無事だろうか。安否が分からない怖さ。

そして、原発事故
毎日、毎朝、ラジオやテレビでは前日より悪くなっている。ベントした、爆発した、空気が汚染された、土壌が汚染された、海が汚染された。
チェルノブイリ事故の記憶もあり、放射能・放射線が悪いものだということは分かっている。
そのニュースが、アナウンサーの口から淡々と伝えられる、
これからどうなるのかを案じる恐怖がありました。いつものニュースを伝えるように淡々と、明らかになった事実をを伝えていく。
周辺住民に避難指示、屋内退避、東京の水から放射性ヨウ素。聞いたこともないような言葉が、ぽんぽんと聞こえてくる。

官房長官の口からでてくるのは、「ただちに~ない」。
安心させるために発せられるはずの言葉が、
逆に不安をかき立てる。
他人事のような、東京電力の会見。質問者をにらむ副社長。
保安院の東京電力まかせのような内容。
パフォーマンスに見える総理大臣の発言や行動。

そして今、もっとも怖い思いをしています。
高濃度の放射能を含む水の排出、1号機に窒素ガス注入。
相変わらず空も海も汚染され、事態は一向によくなっていないのにも関わらず、
慣れてしまった自分がいる。
あれほど怖いと思った情報を、怖いと思わなくなり、
普通に生活している自分がいる。
少々の揺れが起こっても、どうせまた余震だろうと
過信している自分がいる。

本来慣れてはいけないことなのに、慣れてしまった自分が今、一番怖い

怖いです。自分。

天気いい日。

天気いい日。
天気がよくて遠くに太平洋が見えました。

以前は、きらきら光るラインが、かろうじて海だと言うことを主張していたけれど、今ははっきりとそこが海だと分かるほど、ここから見える海の面積が広くなりました。
海岸沿いにあった美しい松林がスカスカになっていて、毎朝、心が痛みます。
仙台市内では、交通が復旧するに従って以前のような風景に戻りつつあります。
でも、海岸沿いは、傷跡が深くて以前のように戻すのしばらく難しそうです。

仙台駅。

仙台駅。
新幹線ホームの被害も去ることながら、
外壁の被害もずいぶんあったようです。

大きな土台は、新幹線ホームに物資を入れたり、中のものを運び出したりするために組み立てられたようです。
時折、巨大なクレーンで荷物を運んでいました。

今回の震災は、復旧までに思いの外時間がかかっています。
コンビニは、やっと少しずつ復旧しはじめていますが、24時間営業にこぎつけていない店もあります。
西友は24時間営業をいち早くはじめましたが、生協は時間を短縮して店頭販売が続いています。

鉄道も少しずつ復旧していますが、新幹線がまだ。東京にいくにはバス。福島や山形から飛行機。
沿岸部の鉄道は壊滅的で、仙石線はもちろん、石巻線、気仙沼線、大船渡線そして常磐線は復旧が難しそうです。

ガソリンは昨日辺りから、スタンドの行列が解消したようです。

ものがなく、交通がマヒ。通信もライフラインも切断。
まだ田舎なので、食料は意外に手に入りやすかったと思います。
これが東京や大阪のような大都市で発生した災害だったらどうなったか、考えると怖くなってきます。

仙台でこのような状況なので、
沿岸の都市はまだ復旧には時間がかかりそうです。
今週末は沿岸部を走ってみたいと思っているのですが、正直、少し怖かったりもします。
そこにあるのが当たり前だった風景、どう変わっているんでしょう。

備えあれば憂いなし。

今回、役に立ったかなということをまとめておきます。

風呂の水
風呂の水は、いつ入れ替えますか? よく言われることですが、風呂の水は、災害時になにかと役に立ちます。トイレを流すときもそうだし、ちょっとした掃除でも使えます。なので、入れ替えは「風呂に入る前」をお勧めします。
もっとも、今回の地震で、風呂の水、半分以上が風呂場の外まで出ていました。それほど揺れが酷かったんでしょうね。教訓としては、風呂のふたもしっかり閉めておいた方がいいってことですね。

冷凍庫
冷凍庫は、モノを隙間なく入れておいたほうが省エネだそうです。隙間があるときには、ペットボトルに水を入れて凍らせておくといいですよ。
いつもは省エネになるし、計画停電で電源が切れたときには暖まりにくいし、非常時には飲み水としても使えます。
ちなみに冷蔵庫のほうは、ある程度隙間があったほうが省エネだそうです。

電池
最近は、エネループなどの充電池を使いますが、使い捨てのアルカリ乾電池などもある程度あったほうがいいです。充電池は、無くなってしまっても捨てられないし、持ち歩かなければならない羽目になって煩わしいことがあるんです。電池のサイズは、単三が最もよく使います。最近は単四形の機器も多いので、用意しておくと安心。

携帯用充電器
これは、電池から充電する充電器です。主に単三乾電池から充電するタイプが主流だと思いますので、用意しておくと安心です。ケータイで電池がすぐに無くなってしまうものなので重宝します。重宝しますが、電池とセットでもってないと意味はあまりないような気がします。

ラジオ
今回のように余震が多いと、ラジオが安心できる唯一の情報源になります。ワンセグもいいのですが、電池がもったいないですね。夜も安心して眠れない。そんなとき、ラジオを一晩中ならしておくと、とても安心します。
おかげで、深夜には「ラジオ深夜便」という番組を放送していることを知りました。優しい語り口に安心感がありました。

ガソリン
まぁ、もうすでに不足しているものなので、分かりきっていますが…。思い起こすと、ガソリンは値上がりするということで、3月に入ってからみんな満タンに入れるのを控えていたように見えます。燃費を考えると、必要なときに必要なだけ入れた方がいいですもんね。今回はそれが重なって、ガソリン不足に拍車をかけました。

懐中電灯
これも分かりきってますね…。明かりがない生活ほど寂しいものはありません。できれば、ロウソクもある程度あったほうがいいと思います。
家にある懐中電灯、ライトはちゃんと着きますか? 年に1度くらいはチェックしておくといいかもしれませんよ。

灯油ストーブ
いくら灯油といってもファンヒーターは、電気がなければ使えないのでNG。最低1台、灯油ストーブを持っておくと安心。ガス、電気がダメになった場合、どうやって暖をとるか。お湯を沸かすか。灯油ストーブなら、暖かく、お湯も沸かせるし、重宝しますよ。土鍋があれば、ご飯も炊けます。ファンヒーターとエアコンしかないという家は、今回、かなりつらかったみたいです。
こういったリスク、分散しておくのが吉ですね。ない場合には、カセットコンロとカセットを、多めに用意しておくといいです。震災後、仙台で最初に品薄になったのは、カセットコンロだったようです。オール電化も考えものですね。

インスタント食品とか、お菓子とか
オレの場合は、よく食べることもあっっていつもかなりの量、備蓄していたので助かりました。年配者の家だと、結構インスタント食品やお菓子、無かったりするんですよね。日常的にあまりたくさんは必要ないと思いますが、ある程度の量はあったほうがいいかもしれません。
冷凍食品も意外にいいです。これがあったおかげで、震災翌日あたりはものすごく豪華な夕食を食べることができました。暑いときには、日持ちしないかもしれませんが…。
あと、長い間、食料の入手が困難な今回のような場合、甘いものが無性に食べたくなります。特に、時間が経てば経つほど、食べたくなります。ストレスがたまったときには、甘い食べ物があるといいですね。

オレの場合は、だいたいこんなものでしょうか。まぁ、目新しいものはないと思います。重要なのは、地震や災害のための準備として用意しておくのではなく、日頃の生活のなかに入れてしまうということだと思います。

いつもラジオを聞く人なら、万が一のときにもすぐにラジオを取り出して聞くことができるけれど、日常的にラジオを聞かない人は、それが家にあることは分かっていてもどこに仕舞ってあるか分からない。そいういうこともありますので。

品薄で思い出しましたが、こういう緊急時、品薄になるものって必ず日常的に使っているものなんですよね。「トイレットペーパー」、「ティッシュペーパー」。今回の場合は、原子力発電所事故があったせいで「水」、フィルムメーカー等の工場被災で「納豆」や「ヨーグルト」と移行していきましたが。なので、日常的な消費財というのは、買いだめしておいたほうがいいと思います。使っていくうちに必ずなくなりますから。あ、買いだめはもちろん、「モノがスーパーに十分にあるとき=誰も買いだめしようなんて思わないとき」にしておくのが寛容です。みんなが欲しいと思ったら最後、すぐに無くなりますからね。

結局まとめると、
アウトドアでのキャンプ用品。これがあると最強かもしれません。ランタンから、ガスコンロ、寝袋に食品。ありとあらゆる便利グッズ。ちょっとロフトに行ってみようかな。趣味=キャンプ。これからの時期いいですねぇ~。

地震の日。

まだ、余震が続きますね。

揺れる度に、あの時の揺れを思い出してしまって、恐怖におののいています。

あの日、3月11日のことを書きます。仕事中だったので事務所にいたのですが、ケータイの緊急地震速報が鳴り響きました。もう、揺れ始めてた頃だったと思いますが、まだ序の口でした。

はじめは、「揺れてる!」と声を出せたけれど、その後、あまりに大きな揺れで声を出すこともできませんでした。すべてを壊そうとするような、巨大な揺れ。遊園地の乗り物でも、なかなか味わえないような上下の揺れと、左右の揺れ。

本棚に並べられている書類が雪崩のように落ちて、机が踊り、電気が消えました。

最初の大きな揺れの後に、事務所の扉を開けました。じっとしているのが寛容ですが、出口の確保が必要だと判断したからです。その後、大きな揺れ、小さな揺れを繰り返しました。地震そのものもあるだろうし、小さな揺れはビルの揺れが続いていたんでしょうね。

宮城県沖地震が30年以内に発生する確率は、99%

周期的に起きるこの大地震は、宮城に住んでいる人なら誰でも知っているし、いつ来ても大丈夫なように、心構えはできていると思います。ただ、心構えができていたとしても、今回の地震はそれよりも大きく、なにより長いものでした。

揺れている最中に、ケータイのワンセグを着けました。まだ揺れている。でも、NHKの画面は「海」を映し、津波に対する警戒を繰り返し告げていました。アナウンサーのその切迫した様子に、これはただ事ではないなと確信しました。

揺れが完全に収まったのは約20分後。事務所の惨状もそのままにおそるおそる事務所から出る。エレベーターは使えない。ところどころ壁に亀裂が入っている。外に出ると、道路じゅうに溢れる人。時折、余震があり、ビルがしなやかに揺れている様子が見えました。騒然。ここまでで地震発生から約30分が経っていたと思います。

これは確実にみんなに心配をかけるな、と思ったので、咄嗟にブログやmixiに「無事です」のメッセージをメールで送って投稿しました。多くの友達にブログやmixiの存在は知られているし、ケータイは使えなくなる可能性があるので、つながるうちに短いメッセージを載せます。

とりあえず今日はもう仕事は難しいということになり、帰宅することになりました。

会社のおばさんが、立体駐車場に車を止めてしまったので出せないということで、家が近いオレのところに一緒に帰りました。どう考えても鉄道も動いてないだろうと、容易に想像できたからです。16時前くらいでしょうか。今思えば、次の災害が沿岸の漁村を襲った後だと思います。その瞬間瞬間に、多くの人の命が奪われていたんだと思います。

帰ろうとする人が多く、仙台駅前は人であふれかえっていました。駅は、通常、ペデストリアンデッキ(大きな歩道橋)で2階から入りますが、このペデストリアンデッキがまた壊れている様子でした。

水分が欲しかったけれど、自動販売機は停電しているのでストップ。コンビニはとりあえず、真っ暗な中で対応していたけれど売っている様子はない。軽いパニック状態で、まさにこれから混乱が始まるその入り口でした。

ガソリンのにおいが漂う地下駐輪場から、なんとか自分の自転車を探し出し、家に帰ります。余震が時々襲ってきて、足下を揺らします。机の上立てた鉛筆。電柱が、そんな感じで揺れていました。

家は、大きな揺れがあったこともあり棚のモノが全部落ちていました。とりあえず、おばさんには冷蔵庫にあったコーラとお菓子を出して落ち着かせ、散らばった部屋の整理をしながら、とりあえず必要になりそうなものを探しました。

懐中電灯、ありったけの電池、ケータイ充電池…

まもなく、日が落ちて暗くなる。さてどうするか。このままいてもいいけれど、真っ暗で、暖房もない。時々大きく揺れる。このまま家にいてもしょうがないので、避難所に行くことにしました。近くの小学校。

周囲が薄暗くなるその頃、すでにかなりの人が避難所に集まっていました。体育館に行くと、周囲に紅白の幕が張ってあり、壇上には「卒業式」の大きな文字。並べられた椅子とマット。肩身が狭いと思いながら、なにをするわけでもなくその場に座っていました。だいたい18時くらいです。

どんどん寒くなる。どんどん暗くなる。

つい3時間前に発生した非常事態に、的確な対応なんてできない。体育館にも非常時の照明設備があるわけでもなく、あっという間に真っ暗になりました。
気がつくと、情報が欲しくなります。地震が起こったことは分かっているけれど、どうなっているのか分からない。暗闇が不安を助長していく。

ケータイの電池が気になるけれど、ケータイのワンセグでテレビを付けると、そこに映ったのは津波で流されていく様子でした。「地震が来たら津波がくる」。海沿いに住んでいたオレは、学校でも家でも、昔話でもその恐ろしさを聞いていました。でも、そんな自分でも驚いて目を覆いたくなるような、まるで映画を見ているような信じられない気持ちで小さなケータイの画面を見続けました。

ある程度、どのような状況になっているのか分かったので、ケータイは閉じました。なにかのときの連絡手段であり、今、ケータイの電源がなくなるといざというときに使えない可能性があるからです。家にラジオがあったことを思い出し、戻ることにしました。21時くらいでしょうか。

小学校を出ると幹線道路があるのですが、車が渋滞して進めなくなっていました。今、考えれば、それは単なる帰路を急ぐ車が増えたというわけではなく、そのずっと先が津波に襲われて道がなくなっていたんです。ただ、そのときは、まさかそこまで津波が入ってくるとは思いませんでした。車のヘッドライトだけが明かりで、街は真っ暗、公衆電話は長蛇の列、そして仙台では見たこともないような漆黒の夜空に、たくさんの星が瞬いていました。東の空が明るくなったり、暗くなったりを繰り返し、製油所が燃えているのが分かりました。

津波は怖いですね。いくらそこで爆発事故が起こっていても、消防が近づけないんです。道にがれきが覆い被さっているから。被害状況を把握する前に暗くなっているから、道が生きているのかどうかも分からない。

真っ暗な家の中で、食べ物をかき集め、小さなラジオを探して避難所に戻りました。その頃になってやっと避難所に来る人もいたようです。避難所の外では、すでに入れずに車の中で過ごす人もいたようです。とにかく寒くて、暗くて。

ラジオで情報収集しながら、近くにいる人たちと情報収集をしていました。

自家発電で明かりが灯り、たぶん近くの給食センターで作られたであろうワカメご飯やおにぎりが配られました。あまりにも人が多すぎて、なかなかもらうことはできない。食べ物よりも困るのは、水分。水道が出ないので、のどが乾かないようにしながら少しずつコーラを飲みました。地震発生確率99%。仙台の避難所は、あらかじめ備えがしてあったんでしょうね。真空パックされた毛布をもらって、パイプ椅子の上にくるまり寝始めたのが22時か、23時か。

もうその頃になると、いつまでここにいればいいのかな。寒さと不安と、いろんなことが入り交じった中で、いつまで?というのを考えていました。まだここに来て数時間しか経ってないのに、そう思ったんです。なので、今、現在も避難所で生活をせざるを得ない人のことを思うと、その心中がいかばかりかと心が痛くなってきます。
オレが避難した場所は、街中で津波の被害もなかったので、水、おにぎりといった救援物資をすぐにもらうことができました。でも、海沿いの街は道路が寸断されて、避難しても食べ物も飲み物も、明かりも、情報もなかったのではないかと思います。

パイプ椅子で寝るのがこんなにつらいのかと思いながら、長い夜を過ごしました。椅子の座面に頭を乗せてみたり、座ってみたりの繰り返し。落ち着かない周囲。家族や親類と連絡が取れずにいるのだから、当然だと思います。

白々と空が明るくなってきているのが、体育館の窓から見えました。5時前くらいだったか。一緒にいたおばさんをつれて避難所を出て、オレは実家に帰ることにしました。

道路はすでに空いていました。帰り道、海沿いと山沿いの2つのコースがありますが、迷わず山沿いを通ります。大きな揺れだったわりに、道路の破損箇所はそれほど多くなく、建物被害もあまりないようでした。ビルの向こうに見えたもくもくと煙を上げる製油所。田んぼの向こうに、山の向こうにと近づきながら。

塩竈の街に近づき、津波が意外に奥まで入ってきていることが分かりました。古い商店街の中。アスファルトの色を見れば分かるということを、このとき初めて知りました。津波が入ってきたところは、泥で覆われているんです。ゴミがあちこちに散乱していて、自分が知っている風景とは違った、異様な風景でした。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »