トンビ
公園で最も高いこの木は、
冬になると、トンビの寝ぐらになります。
木々の葉が落ちて、
久しぶりに戻ってきました。
やっぱり高いところが好きなんですね。
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公園で最も高いこの木は、
冬になると、トンビの寝ぐらになります。
木々の葉が落ちて、
久しぶりに戻ってきました。
やっぱり高いところが好きなんですね。
震災以来、
消えていたテレビ塔のライトアップ。
今日から再開したみたいです。
夕暮れ。
冷たい風が吹いて、耳が千切れそう。
空は、暖色なんですけどね~。
実りの秋ですね。
大量に実っているのを見ると、
別にそれを取って食べるわけでもないのに
なんかこううれしくなりますね。
最近は、持ち主もそのまま放置してしまって、
熊さんが山から降りてくる原因のひとつとも
言われてますね。
なかなか、こういった風景も
見なくなっちゃいました...
あまーい干し柿ができるんでしょうね〜。
1年に1度は食べたくなる。干し柿。
どうしても山に行きたくて、
市内から近い山「泉が岳」に行ってきました。
行きたくなるのは、部屋の窓から見え、
いつも眺めながら、今どんな天気かなぁ〜とか
こっちはどう見えているのかなぁ〜とか
想像しちゃうからかもしれません。
ベガルタの本拠地、
ユアテックスタジアムを過ぎて西のほうに
車を走らせると
すぐにとても素朴な風景が見えてきます。
朝ドラの舞台となった根白石を抜け、
山道を登ると棚田の風景になり、
まもなくゲレンデが見えてきます。
昔は、くねくねとした道を延々走っていて、
草木に覆われた観覧車やドームの廃墟を
眼下にしながらのドライブでした。
今は道路が整備されています。
ゲレンデもすっかり秋で、
カラフルに彩られていました。
さらに、パラグライダーが飛んで、
彩りに動きを加えていました。
廃墟に行ってみたくて、
都度、親にせがんだんですが…谷の下。
その頃は、遊園地というものに行ったことがなく、
それが廃墟でも、そうだったものらしいというだけで
わくわくしたなぁ〜などと
ちょっと思いをはせてしまいました。
最近では、あれは子供心が生み出した虚像だったのかな、
廃墟なんてなかったのかなぁ〜
と思っていたんですが、
実際「泉ランド」という遊園地、あったということを
最近知りました。
今、それがないことが分かっていても、
どうしても探したくなってしまう。
そんなドライブでした。
廃墟には、1度だけ連れて行ってもらい、
好奇心を満たすことができました。
(想像以上にわくわくドキドキしました)
山歩きが好きな親でよかった。
→ 仙台市(泉なつかし写真館)
鳴子峡のレストハウス(展望台)では、
この時期たくさんの出店も並んで、
いろいろなものを売っています。
去年出てたイワナ(魚)のお店はでてるかなぁ~
と行ってみると、
今年も出店していました。
すみません、食べませんけど...
どちらかというと出店の食べ物は、
お祭りでも食べないのです。
よく味わってみるとまずいんだけれど、
その場の雰囲気でおいしく感じてる、
いわゆる錯覚というか、なんとか効果というか...
そんな気がして。
先日鳴子に行ったときは、
お昼少し前に到着して、
腹が減っていたこともあって、
何か食べることにしました。
買ってから思い出したけど、
去年も食べたものをやはり今年も選び、
それはベーコン串というもので、
厚切りのベーコンとソーセージが
交互に刺さって焼かれた代物。
400円。
口に入れてやっぱり、
これはこの風景と雰囲気に錯覚して、
うまいと感じているだけじゃないだろうか
そう思わせてくれました。
しかし、どうもベーコン串ひとつでは足りず、
なにか食べたいと探していたところ
行列になっていたのがキノコ汁でした。
500円。
ビッグマック2個買える...
高い! 高すぎる!
とは思ったものの、
周囲の人たちがうまそうに食っていたので
我慢できず、心の迷いが
財布のひもを緩めてしまったんです。
席に座って食べたんですが、
これがまた次から次へと
様々なキノコ(たぶんこの周辺で採れたもの)や
大根や里芋やネギ等々....が
カップの奥から現れては、
オレの口の中に消えていくという
状況になりました。
こ、これは違う。
雰囲気じゃない。
本当にうまい!!
ということで、ぺろりと平らげ、
もう一個食べようかどうしようかと迷いましたが、
八分目にしておいて、
また来年の楽しみにすることにしました。
さて、あれから数日過ぎました。
どうもあのキノコ汁の味が忘れられない自分が
ここにいます。
まさか、はまってしまうなんて。
こんなこともあるのか。
食べて良かった。
恐るべし地元の味。
この冬も節電には、協力が必要なようです。
先日、某田んぼの中にそびえ立ち、
道路沿いには「あと何キロ」としつこく案内が出て
用もないのに入りたくなってしまう
あのショッピングセンターに行きました。
田舎にいけばいくほど巨大になっていく、
あのショッピングセンターです。
標識はそのショッピングセンターを通り過ぎると、
同じグループの別のショッピングセンターへの
行き先表示がでてくるようになってて、
彼らの巨大さが感じますね。
「あと20キロ」とか出てくると、
軽いめまいを感じたりもします。
平日のしかも
10時半くらいの時間だったのにも関わらず
すでに駐車場の半分以上は埋まっていて、
これまた彼らのパワーを感じました。
震災以来、なかなか行けなくなったんですが、
今回は冬ごもりの支度をしなければと、
防寒グッズを買いに行ってきました。
欲しかったのは、
こたつの内布団(毛布というべきか)。
去年は1枚にしてたけれど、
今年は2枚にして、掛け布団と併せて
3枚の強固な防寒に。
さらに、敷き布団の下に敷く
アルミ蒸着のシートを。
で、目についたのが、
ネットでも話題になっていた「着る毛布」です。
「こ、これがあったら、
エアコンなしのこたつだけで
この冬越えられるのではないかしら」
抑えられない衝動と、
ほんのちょっとの好奇心で買ってしまいました。
家に帰ってきて、開封だけしましたが、
寒くないので使ってはいません。
薄手の毛布といった面持ちで、
ものすごい静電気がバチバチ言ってて、
使い古しは床掃除の雑巾に使えそうです。
(使う前から、後のことを考えるとは…)
パッケージには家族みんなが着る毛布を羽織り、
ソファーで笑っている写真が載っています。
「お、おしゃれだな〜」と思ったんですが、
家に帰ってきてよーく考えてみると、
どうもおしゃれではない。
なんとなく、
「諸般の事情で、
電気を止められてしまい暖房がない家族が、
なぜかニコニコ笑顔で毛布にくるまり、
冬を乗りきる」図
に見えてきて…
日本の電力不足や、
震災直後の避難所生活の様子を見ると、
そんなの気にしている場合じゃないですが...。
今の時期は、
どのお店にいっても、寒さを乗り切る
アイデア商品が売ってるので、
そういったものを生活に合わせてうまく取り入れて、
さらに自分なりのアイデアを組み合わせてみるのも
楽しいかもしれないですよね。
冬が来るのが、楽しみになる!かも?です。
オリヅルランは、
大変に殖えやすい植物だそうです。
比較的簡単に殖えます。
花茎が突然伸び始めて、
小さな白い花が咲いたと思ったら、
小さな葉のような株(ランナー)が生えだして。
それをプチッと取って、
水に挿しておくと根が伸びて育ちます。
世の中にこんなに簡単な観葉植物があるのかと、
ちょっと感動してしまいました。
何度か、
観葉植物はチャレンジしたことがあったけれど、
ことごとく相性が悪いというか、
弱いというか、なんというかで、
枯らしてしまうことが多かったんです。
思えば、引越祝いでもらった観葉植物は、
小さな虫がわいて来たので
せっせと殺虫剤を振り掛けていたら
いつの間にか枯れていました。
これはまずいと買ってきた観葉植物は、
自分の部屋の冬暑く、夏寒い、
夜~朝、昼の温度差に負け、
やっぱり枯れてしまいました。
部屋が、生物が育つのには適さない環境なのか
そう思ったものです。
(そんな中で生きている自分てスゴイ!とも思った)
水のやり過ぎ、直射日光の当てすぎも、
植物によっては枯れてしまう原因。
結構難しいものですね。
先のオリヅルランは、
桃屋のらっきょうなりなんなりの空瓶を
再利用して挿し、部屋中あちこちで
水性栽培によりすくすくと育っています。
ところで、この写真はオリヅルランではありません。
この花(小木)も自分と相性のよい植物で、
今頃の時期になると花を咲かせます。
花は、次から次へと咲き、
おとなしくなるのは8月頃です。
一年のうち半分以上も、
花を付けてくれる植物もあるのかと感心。
仲良くなりたいけれど、
実は大きな問題が。
名前が分からない。
ネットで検索しても、しっくりくるのがヒットしない。
トリカブトかなと思ったけれど、
まさかそんなものが....少し違うようだし。
もしかして新種か?
それとも実は、観葉植物には適さない、
高山植物か?
相性が良いのは、確からしい。
シロだったか、タマだったか。
お寺参道にあるガイドさんの詰め所に
居候中のタマ?
いや、シロだったか。
今日も、たくさんの観光客を尻目に、
入り口に作ってもらった自分の居場所で、
まったりと過ごしています。
津波の翌日にこのあたりを歩く機会があり、
立ち寄ってみました。
人はほとんどいませんでした。
お寺の前のお店は、
シャッターが壊れ、中まで泥水が入り混み、
お土産物が道路に散乱して、
泥にはまっていました。
まだなにがなんだかよく分からず、
さてどうしようか、
みんなが途方に暮れていたんです。
なので、人がいませんでした。
その日に立ち寄ったら、
ちょうどこのタマがうずくまっていました。
いつも人いるはずなのに誰もいない。
いつもの自分の場所は、
津波が持って行ってしまった。
その場所まで泥がまだ残っていて、
行くこともできない。
うずくまっていたこの場所が、
ちょうど境目。
ここから先には、
水を大量に含んだ泥があって行くことができない。
行けたとしても、いつもの自分の場所はそこにない。
まだ雪の降る寒い時期で、
濡れることは猫にとっては御法度。
彼はここで誰かが来るのを、
ずっと待っていました。
食べ物をなにも持っていなかったので、
後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしましたが、
彼がどうなったのかずっと気になっていました。
今日も、元気です。
→ 瑞巌寺 シロ(google)
9月、10月とツイッターを集中的にやってました。
どうやら自分も、噂に聞くツイッター疲れに
陥ってしまったようです。
「共通性のない、
個々のつぶやきがあふれかえって、
頭が混乱した」
とでもいいましょうか。
そこにあるのは、生産性も情報力も持たない、
単なる個人のつぶやきしかありませんでした。
いや、なかには生産性があるもの、
情報力があるものもあるけれど...
そんな中で、誰かのつぶやきを見ても、
「で、だからどうした?」としか
思えなくなってしまいました。
「起きた!」→「だから?」
「朝飯食った!」→「で?」
みたいな。
これはもう、
自分がへそ曲がりのあまのじゃくだということ、
証明しているようなものですね。
また、自己の虚栄心、自己顕示欲を
少しでも満たそうとつぶやいている多くが
おっさん、おばさんだったりすることが
さらに輪をかけて嫌になる理由です。
そういったつぶやきは、裏側にある
「こういうリプライが欲しいです」ということが
見えてしまうので、
あまのじゃくな自分は期待通りのリプライを
返せないんですね。
大の大人が、自身のかまってちゃんぶりを
全世界にPRしているんですか?…
と、苦々しく見るほうが先に立ってしまう。
なんの馴れ合いですかと。
いいんですけどね。人の自由です。
おとなだって構って欲しいし、
話を聞いて欲しい。
で、結局どういうことかというと、
こういったコミュニケーションが
自分には向いていないのかなと、
今更ながらに自覚をしたところです。
やっていてよかったなと思うのはただ一つ。
震災の日の朝からの自分が、
手に取るようによみがえってくることか。
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