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なんていうか、大らかというかなんというか。
気仙沼大島の風景。
よく見ると、海に突き出して建物が建ってて、
漁具とかを入れておく物置だったんでしょうかね。
「これなら住めるかも!?」と、
海での生活に想像を膨らませたんですけど…。
こういう建物、もう造らせてくれないでしょうね〜。
田舎は、おもしろい建物が多くて
イマジネーションが膨らむ場所なんですよね。
放課後、生が自転車で港に乗りつけ、
夕飯のおかずを釣り上げようと夢中になっている傍らで、
彼らのリュックのおやつを狙う不届き者がいるような...。
船に乗った「うに丼」がやたらうまそうで、
人通りが少ないわりには、なぜか「賑わい」
のようなものを感じさせる。
長い長いリフトに乗って、
深緑の森を越えていけば、真っ青な海に出会える。
震災から1年。
こういうの初めてだし、見たこともなかったし、
復興にどれだけ時間がかかるのか分からなかった。
1年くらいで形になるかもしれないなぁ〜などと考えている
自分がいたんですが、
実際、1年経過してみるとその予測がいかに甘かったことか。
思い知らされ、考えさせられ、
なにかしなければとの思いが強くなる1年目です。
※ 震災後の写真は Google ストリートビューから。
エースポートという名前だったと思います。
気仙沼大島航路の玄関口。
ここから乗れるのは人だけで、
カーフェリーは漁港のもうちょい先から
出ていたと記憶しています。
震災直後、大津波警報が3メートル、5メートルと
増していき...
10メートル以上という言葉をアナウンサーが告げた時、
この写真の場所の2階か3階のあたりに
波が流れ込む津波の様子が映し出されていて、
衝撃を受けました。
ワンセグの小さな画面に映し出された映像は、
3D映画のようにとてもリアルで、
大きなスクリーンで見ているようでした。
一瞬、気が遠くなりながらも、
映像にかじりつき、
絶望的な気持ちで、実家の母にメールを送りました。
大きな港町には味がある町並みや、
独特の横丁があるんですよね。
港にいろいろなところの漁船が停泊していて、
陸で交わって、また海へ。
そのノスタルジックな雰囲気と、
ストーリーを想像するのが好きです。
時間はかかっても、戻ってくるでしょう。
動き出すまでには時間がかかるけれど、
動き出したら早い。きっと。
久しぶりに、昔の写真を整理していたら、
こんな写真が..
「うたつ」
歌の津。魚竜の化石が発見された街。
気仙沼線の駅で、
現在は運行してません。
南三陸町です。
本屋で、沿岸部の浸水域とその高さを記録した
地図が売っていて確認したら、
この駅付近で、津波は13メートルだったようです。
ホームも、この駅名表示板も、
水没したんじゃないかと…。
航空写真で確認すると、
ホームらしきものは残っているけれど、
写真に写っている民家は、
残ってないようです。
気仙沼線は、ディーゼル車両で、
乗り心地が気持ちいいんですよね。
田んぼの中を走っていくと、
北上川を越え、山の入ったりを繰り返して
いつの間にか海が見える。
海が見えたと思ったら、トンネルに入る。
「のどか」という言葉しか思い浮かばない路線でした。
ところで、本屋で売ってた浸水域を示した地図ですが、
自分がよく知っている場所でもあるし、
いろいろ勉強になるので買ってみようかと
思ったんですが…
4000円もする代物で…
購入するのを躊躇せざるを得ず、
だいたいの場所のだいたいの高さを把握して、
そっと本棚に戻しました。
浸水の高さや遡上高が書いていない地図は、
国土地理院のサイトで見られるようです。
はやく昔ののどかな風景が、
戻ってきて欲しいですね。
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