日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
先の緑色の八重桜「御衣黄」は、
東松島市の滝山公園という場所で撮りました。
高台にある公園。
ずっと、下を走る国道から場所は確認していたけれど、
行き方が分からなかったのです。
どうにかマップで調べて行ってみました。
坂道が多く、少年団がダッシュをして
トレーニングしているような
静かなところでした。
眺めはご覧のように最高。
ソメイヨシノは葉桜だったけれど、
八重桜が満開でした。
眼下には想像以上の眺めが広がっていて、
豊かな田園と民家、松島基地の滑走路、
その先には太平洋が見えました。
この写真で見える一体は
震災の津波の浸水域で水浸しになってしまったところ。
直後は、海のようになっていたと想像できます。
震災の翌日の朝に、この下あたりまで車で行き、
引き返したのを思い出しました。
今、田んぼには水が引かれ、
田植えの準備が進められているようでした。
建物も少なく、一見復興が進んでいるようには
見えませんが、
山のほうは開発が進められていて、
復興が着実に目に見えるようになってきています。
「トイレの入り口は、閉めないでください」
という張り紙がある道の駅のトイレ。
おかげで、外から丸見えの状態で
用を足さなければならなかったのですが、
その原因が、ツバメだったとは。
よりによって、男子トイレの奥に
巣を作ってしまいました。
そして既に、卵から孵った雛は、
大きく育ちましたよ。
川沿いの山の中にある道の駅で、
餌も豊富にあったんでしょうね、
他で見るよりひときわ大きく育ってます。
親は、洗面台の上の蛍光灯の上で、
羽の手入れをしていたので、
そのすきに雛にカメラを向けた瞬間、
けたたましく鳴き、周囲を飛び回りました。
距離的には、結構離れてたんですけど...
大事に育てた雛も、
この調子だとまもなく巣立ちのようです。
昼間、強い雨が降っていて外に出られず、
夜になってから外に出て、コンビニまで買い物に行ってきました。
時々、風が強く吹き、昼間とは打って変わって星が瞬く夜。
梅の花の香りが、風に乗って鼻腔をくすぐり、
春を実感させてくれます。
公園はいよいよ始まるさくら祭りに、
提灯がぶら下がり、
出店のテントも準備万端。
そういえば、土曜の朝、
学生らしきグループが早くも花見を楽しんでたし、
いよいよ公園が最もにぎやかになる時期だなと。
で、仙台の桜の様子ですが、
気象台の桜を観察してみたところ、
2〜3輪程度が花を開いていました。
桜の開花に重要なのは日照より気温なので、
この週末でかなり進んだよう。
明日は、少し気温が下がるようなので、
開花を発表するかどうかは微妙なところですが…
開花宣言はともかく、今週末の仙台では、
桜が綺麗に見られそうです。
見頃は、再来週でしょうか。
先日、実家の母からメールがありまして。
「メダカ、全滅。シクシク」と。
せっかく、冷たい冬を越えたと思ったのに、
ここに来て全滅とは。
原因は、分かってます。
それは、メダカの密度が高すぎること。
2〜3リットル程度の小さな金魚鉢にメダカ10匹では、
彼らのストレスも相当なものと思われ。
縄張り意識もあるという彼らは、
喧嘩もするだろうし。
水が汚れるのも意外に早くて、
水替えが追いつかなかったのかもしれません。
実家からもらってきたうちのメダカも
実は8匹のうちの2匹が死んだけれど、
言い出せずにいたので、
ちょっとホッとしたのもありました。
メダカは全滅してしまったけれど、
タニシは元気だそうです。
土曜日に、ホームセンターにメダカを
買いに行きました。
少なくしたほうがいいというアドバイスを
加味したのか、今度は7匹にしたようです。
小さめで、同じ大きさのメダカだったので、
今度は大丈夫かもしれません。
ホームセンターからの車の中で母が、
「初物のシラウオを刺身で食べて、おいしかった」
という話をしていました。
メダカが死んだときには、
あんなにショックを受けていたのに、
シラウオはおいしく食べちゃうんだなぁと、
ちょっとおかしくなった帰り道でした。
小さい頃から地震が来ると、
まず「津波」を怖がっていました。
家族の誰もが、そんなこと心配しないのに
オレだけ。なぜ自分だけが
津波を怖がるのか。
思えば、昔話をしてくれる祖母から
津波の怖さを聞いていたからだと思います。
感受性がまだ強い小学生低学年の頃に聞いた話は、
心のどこかに残っていて、
いざという時に、まず頭に浮かぶようです。
津波に関しては、
震災の1年前。ちょうど今から2年前の2月末、
チリ地震津波がありました。
まだその頃、海沿いの実家に住んでいて、
土曜日だったか、
朝っぱらから町内会長さんがやってきて
避難しろといわれ、
寒空の中、高台に移動しました。
東京など遠方の友達は
心配してメールをくれました。
ニュースやってましたもんね。
津波がどんな風にやってくるのか、
みんな分からず、
白波を立てて大きな波が襲いかかってくる
というのを想像しているようでした。
大きな波がやってくることもなく、
そろそろいいだろうと家に戻って
テレビを付けたら津波で水浸しになっている
浜の様子が放送されていて、
慌ててまた高台に戻ったのを覚えています。
もうその時には、誰も高台にはいませんでした。
ひとり冷たい風の中、海を眺めました。
国道にもなにも人影が見えない静けさ。
翌日、仙台で知人に「避難をした」と言ったら
なんか笑われてしまいました。
ちょっと、ムッとしたんですが、
山方面育ちの人は知らないんですよね。
(自分も実際には知らない)
あ、こういうことなんだなって。
意識って。
山に住まいがあるなら、
家がやられてしまうことはないだろうけど、
その時、海の近くにいないとは限らないわけで…
311のとき、あれほどラジオが
注意を促していてもやはり「意識」がいかず、
のまれた人もたくさんいたんじゃないかと。
津波の映像が散々流され、
その恐さを知った今、
きっと「避難をした」と言っても笑う人はいないでしょう。
津波に対するみんなの意識は、変わりました。
それでよかった。
4月の大きな地震のときには、
ほんの数分でみんな避難したそうです。
でもね、思います。
それ以外にもないのかな〜、
意識をしておかないといけないもの。
自分が知らないだけで、
本当はとても怖いもの。
たくさんありそうだな〜。
経験していないのに、意識することができた。
祖母の昔話に感謝です。
最近のコメント